南方熊楠公開講座 南方熊楠と土宜法龍との出会い

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日 時■2007年11月16日(金) 19:00〜
場 所■高野町中央公民館2階  マップは→こちら
参加費■無料ですが、準備の都合上、事前にお申込みをお願いします
共 催■高野山創造学 財団法人南方熊楠記念館
講 師■吉川壽洋先生(財団法人南方熊楠記念館 理事)
 
問合せ・申込み■高野町企画振興課 
電話:0736−56−3000 ファクス:0736−56−4745
メール: info[※]town.koya.wakayama.jp [※]を半角アトマークに直してご利用下さい。
 
講師より■
 明治26年(1893)9月にシカゴで開催された万国宗教大会に出席ののち、押収回遊に出た土宜法龍は、10月英京ロンドンに滞在中の南方熊楠と出会います。両者はすぐに意気投合し、三日三晩議論を交したといいます。間もなく土宜はパリに向かって旅立ちますが、その後もロンドンにいる熊楠との間に多くの書簡が往き来することになります。その往復書簡は、熊楠のロンドン帰国後にも及んで続けられています。
 ロンドン滞在時の熊楠の中に胚胎した「事の学」は、土宜法龍の巧みな誘導も大いに手伝って、帰国直後の那智時代に、鶴見和子によって「南方マンダラ」と命名されることになる独創的な学問論、宇宙論へと発展していくことになります。今回は、特にこの独自な熊楠の思想展開の中にあらわれる「心内の快楽」について、土宜法龍との往復書簡をもとに考察を進めてみたいと思います。
 
南方熊楠(みなかた くまぐす)■1867年4月15日〜1941年12月29日
 幼い時から驚くべき記憶力の持ち主で歩くエンサイクロペディア(百科事典)と称された反骨の世界的博物学者。19才の時に渡米、粘菌の魅力にとりつかれ、その研究に没頭、サーカス団に入ってキューバに渡るなど苦学しながら渡英。その抜群の語学力と博識で大英博物館の東洋関係文物の整理を依頼される。一方、科学雑誌「ネイチャー」に数多くの論文を発表。また、孫文と知り合い意気投合、以後親交を結ぶ。33才で帰国、紀州は田辺に居を構えると精力的に粘菌の研究に打ち込み、その採集のため熊野の山に分け入り、数々の新種を発見。一切のアカデミズムに背を向けての独創的な学問と天衣無縫で豪放磊落な言動は奇人呼ばわりされたが実はやさしい含羞の人であり、自然保護運動に命をかけて闘い抜いた巨人であった。(前進座創作劇場 およどん盛衰記 より転記)


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